「仕事と英語」インタビュー:シェフ 福田浩二(TERRA AUSTRALIS-北参道)前編

福田シェフインタビュー

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世界のグローバル化が進み、今後、ますます重要なスキルの一つとなるのが「英語力」。
仕事からプライベートまで、あらゆる場面で英語の必要性が高まる時代になっています。

そんな現代社会で、既に実際の仕事現場で、英語を使って活躍している方にお話を聞く『「仕事と英語」インタビュー』。
今回は、都内の北参道駅近くにあるオーストラリア料理レストラン「TERRA AUSTRALIS」のヘッドシェフ、福田浩二さんにお話を聞きました。

日本への観光客の増加、インバウンド需要が益々高まる今、世界的な料理人チームの一員として海外も回る福田シェフは、どのように英語を覚えて、どのように仕事の現場で英語を活かしているのでしょうか。
自身の経歴や海外体験、また最近始めた店内スタッフへの英語研修も踏まえ、「仕事と英語」についてお伺いしました。


インタビュー:シェフ 福田浩二(TERRA AUSTRALIS-北参道)前編

英語圏とも知らずに、仕事でニュージランドへ

福田シェフインタビュー

福田浩二シェフ

– 今回はご協力頂きありがとうございます。まずは、料理人になるまでの簡単な経歴をよろしくお願いします。

(福田さん、以下「福」)料理人になったのは、母の影響です。元々、勉強が嫌いで、将来は美容師とか整備士とか、そういう専門職になろうと思っていて。そんな中、母がたまたま大阪で喫茶店をやっていて、手伝いをする中で、料理を楽しく感じるようになりました。

それで、母に「料理人になりたいから、中学を卒業したらすぐ調理学校へ行かせてくれ」って言ったら、「高校くらいは出ておきなさい」って言われて。であれば、料理に関係する高校しか行きたくないなと思って、大阪にあった食品産業高等学校へ進学しました。

– 高校を卒業されてから、そのまま料理の世界へ?

(福)そうです。そのまま6年間、料理人として働きましたが、仕事がキツくて、1つめの職場を辞めました。朝から晩までお日様をみることがなく、多分鬱に近かったです(笑)今考えると。6年間本当にきつかった。
それで1年間だけバイト生活をして、色々な仕事を体験しようと思いました。実際にやってみたら、すごく楽しくて、結局、2年間、そういう生活をしました。
でも料理が好きでしたし、頭の片隅では、いつか料理人に戻らなくちゃと思っていました。
そんな時、たまたま新聞でニュージーランドに出店予定のイタリアンレストランの料理長募集の求人を見つけたんです。ニュージーランドに興味はなかったけど、洋食を作っていたので海外に行けるのかなと思って。ちょっと話を聞きに行くつもりで行ったら、何故か僕に決まってしまったんです。

– ニュージーランドに行く前から英語は勉強していたんですか?

いえ、全然(笑)。
ニュージーランドに行ったら、すごい困っちゃいました。英語圏だってことも知らなかったんです。南国のニューカレドニアだと勝手に思い込んでたんです(笑)。
しかも料理長の僕以外、現場スタッフはみんな現地の人。オーナーは日本の方でしたが、肝心の料理長である僕が、英語のボキャブラリーも何もなくて、料理を教えることも出来ず、とても困りました。発注もできない、簡単な指示も出せない・・・。
雇用は2年契約でしたけど、2ヶ月で辞めたい、と思いました。でも、せっかくなので、まずは2年間と頑張りました。

– 大変でしたね・・・。では英語は現地で働きながら覚えたのですか?

(福)働きながらもそうですが、勉強もしました。月に2回ほど、教会でボランティアをやっているご年配の方々が、現地の外国人向けに英語を教えていて、それに行っていました。誰にでも教えてくれるんです。ゆっくり喋ってくれて、すごく分かりやすかった。
英語でも、若者の言葉は難しくて。流行りの言葉とかあるじゃないですか。何を言っているか分からなくて。それに比べたら、ゆっくりで、最新の言葉も使わないし、省略もしない。非常に聞きやすかったです。クラス自体も無料で受けられるし、お菓子やジュースも出してくれるので、それ目当てで行っていた時もありましたね(笑)。
あとは部屋がフラッティングといって、8人くらいのシェアハウスだったので、生活をする中で、追い込まれるように覚えていきました。
そして1年くらい経った頃から、コミュニケーションも取れるようになって、生活も楽しくなってきました。
あまり上下関係がないというか、どんな人でも対等に接する雰囲気が気に入り、日本より生活が楽に感じるようになりました。2年たったら、もう帰りたくなくなって、しまいには永住権を取りました。

– それほど気に入っていたニュージーランドから、日本へ帰国しよう思ったきっかけは何ですか?

結局、8年間、ニュージーランドにいましたが、現地で今の奥さんと知り合いました。そして、たまたまルーク・マンガンという世界的に有名なオーストラリアのシェフとも出会い、日本第一号のレストランをオープンするから一緒に来ないかと、誘われました。そういうタイミングが重なって「2年ならいいよ」と返事をし、一緒に日本に帰ってきました。
それで、2年でニュージーランドに戻るつもりが、結局、今、日本で8年経ってます(笑)。

– そうなんですね(笑)。ニュージーランドやオーストラリアで、周りに日本語が通じる人はいなかったんですか?

(福)殆どいませんでしたね。最初は全くいなかった。
でも、だんだん仕事や生活に慣れて、余裕が出てきた時に、日本の人たちが集まる場にも行くようになりました。実際に行ってみたら、それがまた楽しかった。現地にいる日本の人たちと、目的が一緒というか、似通った部分がすごくあって。
駐在員、ワーキングホリデー、レストランや飲食関連、ずっと長く現地に住んでいる方など、色々な人がいました。
海外の地で、同じ国の人同士で集まるのって、日本人だけなのかなと思ったけど、そうでもない。イギリスならイギリス、中国なら中国と、やっぱり固まる。境遇が似ているというか、楽ですもんね。

海外の仕事現場と英語 - 料理人として世界中を回る日々

インタビュー中の様子

– では、具体的に仕事面について。仕事において英語を話せなくて困ったことはありましたか?

(福)もう、困ったことしかないですね・・・(笑)。
例えばニュージランドでいえば、まず料理の素材を取り寄せても、オーダーしたものが来ない。電話ってすごく難しいんですよ。顔を合わせれば、何となく分かるけど、電話ではそうはいかない。それでファックスに代えたりしました。
それでも、英語力うんぬんより、感覚的に、日本よりも仕事がいい加減な人が多くて・・・。結局、コミュニケーションが出来るようになっても、発注したものが届かない(笑)。
英語が出来なかった時は、何でだろう、と思ったけど、結局そういう事でもないなぁと・・・。例えば、仕事で待ち合わせをしたのに当日来なかった場合、日本じゃ結構大変なことですよね。けど、向こうだと、ああ、そっか、程度で。何で来なかったの、と聞いたら、いや、お腹が痛かったから、とか言われて。じゃあまた来週、みたいな。
そういうところが、良くも悪くも、ラクだった。相手もこちらも、お互いがお互いに寛容ですからね。

– 逆に、英語が話せて良かったことは?

(福)やはり一番は、ルーク・マンガンという、世界的に有名なシェフと出会えたことです。とてもお世話になっていて、彼に気に入られた事で、一緒に世界中を回れた事は本当に良い経験でした。英語がある程度出来ないと、まずこんな機会は無かったと思います。
そういう意味では、もし料理人でも、世界で活躍したいのなら、英語が出来るといいと思います。
逆にいうと、日本の料理人にはすごく仕事ができる人が多いから、英語ができれば、より世界で勝負が出来るようになるんじゃないかと思います。
例えば、有名ホテルの料理長って外国人ばかりなんですよね。だから、英語ができるようになれば、日本の人にもっとチャンスが来るし、発信も出来るようになると思います。

– 料理の世界でも、日本の人って仕事の質が高いんですか?

(福)質という意味では、めちゃくちゃ高いですよ。ただ、はみだした発想には、弱いんですよね。「こうしちゃダメだろうな」が、足枷になっている。だから、そういう自由な発想は外国人シェフの方が強いかな、と。
日本の人は色々気にするじゃないですか。料理人だと上下関係が厳しいんで、これをやったら先輩に怒られる、とか・・・。そういうことを、気にし始めると限界があるので、難しいですね。
でも僕は、料理の技術は、日本の人が一番高いと思っています。だから、英語ができれば、世界ですごい強くなると思います。
現に、フランスでは日本人シェフって需要が高いんです。日本人シェフのブームが来てますよ。すごく評価が高い。そういうのって、先輩たちが築いてくれたもので、とてもありがたいと思います。
実際、海外で料理の勉強をされている日本人の方も多いですが、殆どがフランス語やイタリア語で、英語を話せる日本人シェフは少ないんです。料理の本場はヨーロッパ、みたいな認識もありますが、実際の仕事現場でより広く使われるのは英語なんです。

– 有名なシェフと海外を回っていた時は、どんな仕事をされていたんですか?

(福)日本に帰って8年と言いましたが、半分は出張で日本にいませんでした。
調理の依頼を受けたルーク・マンガンの手伝いとして、世界中の現場に同行しました。行先は、誰もが知るアメリカの元大統領の別邸とか、ヨーロッパ某国の皇太子の家とか・・・。ただ行っても、僕らはキッチンにしか行かないので、ここは誰々の家だよ、と言われても全然わからない(笑)
それ以外では、レストランをオープンしたいという人に、実際に料理を見せるために招かれたりもしました。モスクワとか、南アフリカとか。全くお金にはならなかったけど、いろんな人と知り合えて楽しかったです。
あとは、めちゃくちゃ嫌だったけど、豪華客船のメインダイニングにもいたことがありました。

– どうして嫌だったんですか?

(福)怖くないですか?6ヶ月ですよ。船から降りられないの。すごい揺れるし、家族にも会えないし・・・(笑)
その他には、アメリカのサンフランシスコや、シンガポールにお店を出す、という時も1年近く行っていました。ただ、どんどん出張期間が長くなってきたので、子供ができたタイミングで、長期の出張は断るようにしました。

– 実際に調理中、厨房では英語でコミュニケーションを取るんですか?

(福)そうです。チームは、多国籍です。ルーク・マンガンと関係が深いので、殆どオーストラリア人ですけど、そこに現地の料理人が加わって、彼らに料理を教えながら、共同で調理することが多いんです。料理を教える時も、より広く使われるのは英語ですね。
でも、モスクワへ行ったとき、世界的な都市なのに、現地の人が英語を一切話さなくて、すごくビックリしました。
野菜の名前とか、数字ですら英語が通じなくて。標識も全部ロシア語だったから、空港からここに来てくれ、と言われても、全く分からなかったな。
乗れ乗れと煽られて、よく分からなくて、黒いタクシーに乗ったら、後ですごく怒られました。危ないことをするなと(笑)。

– 今考えると、とても危険な体験でしたね(笑)


前編はここまでとなります。海外で活躍する福田シェフならではのエピソードが沢山伺えました。
後編では「海外を経験して、日本に戻ってから思うこと」、「今日本の仕事現場で使っている英語について」等を伺いました。

記事の後編はコチラからどうぞ
「仕事と英語」インタビュー:シェフ 福田浩二(TERRA AUSTRALIS-北参道)後編

■福田浩二/Koji FUKUDA
1972年生まれ。26歳で単身ニュージーランドへ渡り、オーストラリアのスターシェフ、ルーク・マンガンの元で経験を積む。2006年「Salt」(東京・丸の内)総料理長に就任。2016年1月より、「TERRA AUSTRALIS」に参画。オーストラリア政府公認のラム親善大使も務める。

■TERRA AUSTRALIS(テラ・アウストラリス)
http://www.terra.tokyo/
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-29-2
JR「千駄ヶ谷」駅徒歩6分、東京メトロ「北参道」駅徒歩2分

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